少年院は法を犯した「不良少年」が収容される場所。
「少年院から出てきた奴にロクな奴はいない」なんていうイメージ殆どの人が持つかもしれないが、実際は少し違う。
正確な表現をすると、入る時はロクでも無いのだが、出る時は成長していてピュアな奴として生まれ変わって出てくる。
殆どの人は勘違いしがちだが
少年院は刑罰をただ単に受ける刑務所とは違って、大切な『学び』を得られる。
実は少年院生活で学校に通えない子供達のために、学年別、年齢別に基礎学習を教えて貰える他、ビジネスマナーに加えて倫理や道徳、就労支援、更には無料で国家試験まで受けられるという、何とも素晴らしい場所なのだ。
そして、僕が院生活1年半月で消費した金額がなんとたったの5000円。
『え?普通の学校に通ってるよりいいじゃない?』
そう周りからも言われるくらい、設備が充実していて、心と体の成長には持ってこいの場所だった。
確かにバリバリの暴走族のお兄ちゃんが、1年間苦痛に耐えながら、勉強や体育に勤しむのはやや心が折れそうなものの、退院する頃には皆んなが決まって『先生、僕社会にもどるのが怖いんです。今まで教わった大切な事を忘れるのが怖いです。』と涙を流しながら訴える。
それだけ少年院での生活は、普段僕たちが通う学校教育とは全く別の深い学びや、気付きを得られるところであり。
それが潜在的に欠落している人が集まる場所であった。
そんな少年院生活で僕が特に少年院で学べて良かった事について今回は紹介したいと思う。
その1
『義務教育じゃ学べない深い倫理』
少年院では週に一度外部から社会貢献活動をしている講演家や、宗教に携わる人が講師として、僕達の元に色んな話しをしに来てくれます。
特に倫理的な話しを聞く場面が多く、道徳や倫理観が著しく欠落している非行少年達には、時には何を言っているのかわからないくらい学びが深い。
倫理とは
人間生活の秩序つまり人倫の中で踏み行うべき規範の筋道(の立て方)。
実は目に見えない部分で僕達は日々成長しているという事を感じさせられる倫理の授業。
講演家によっては多額の授業料を払ってまでその教えを必要とする大企業の社長達がいるくらい学びの深い生き方の原理原則なのだ。
僕はこの倫理と出会ってからは、目に見えているものだけが世の中の全てでは無いという事を知りました。
初めは疑いを持ちながらも実践していく事で、人間関係の原理原則や、生き方の本質を学ぶ事が出来、今ではその全てが生かされていると実感しています。
その2
『1人になる大切さ』
当たり前だが、少年院では友達もいなければ家族もいない。
最初の1ヶ月は1人で単独寮で1人で生活しないといけないし、スマホも無ければ暇つぶしが出来るものは『本』くらいしか無い。
繋がっていられるのは自分だけなのだ。
今現在、一人暮らしをしている人にもきっと想像ができないだろうが、普段の生活の中で人と関わらずに生きていくのはとても難しい。
仕事やバイト先では、必ず上司や部下、同僚とのコミュニケーションがあるし
学校や部活でも友人やクラスメイトと関わる機会がある。
誰とも会ってないよ。って言う人も中にはいるかも知れないが家族と顔を合わせたり、街中で見知らぬ誰かとすれ違たりしている時も人と関わっていると言える。
想像してもらいたいのだが要は、何にも無い部屋から出ることも出来ずに、誰とも一言も交わさないまま何ヶ月もただ『本』と向き合っている状態の事を考えて欲しい。
一体これを見ている人の中でどのくらい、この経験をした事があるのだろうか?
僕はそんな体験をしたのは生まれて初めてだった。
孤独と向き合うと本当の自分が見えてくる。
最初は分からないが、次第に自分と自分が会話をしている事に気付いたり、心底嫌いだと思っていた両親の事さえも、涙しながら大切だと思えるようになる。
孤独とは自分しかいない状態であり、どれだけ自分が今まで自分と向き合う事が出来ずにいたのか、どれだけ自分が浅はかな事をしていたのかを身をもって教えられる。
僕はこの孤独のおかげで、自分の大切な人を決して1人にしてはいけないと学んだし、逆に自分と繋がり対話する大切さを学んだ。
少年院は強制的に倫理観を養い、強制的に自分と向き合わされる場所であるからして、この体験が出来るのは生涯あとにも先にも無い経験だったといえる。
1人が寂しくて、嫌いな人は自分をまだ認識すら出来ていないのだ。
慣れてくると1人の時間が好きになり、自分だけの世界観に没頭できるし、1人という事が孤独でもあり、贅沢でもある事に気付かされる。
まさに人生の原理原則に強制的に向き合う体験なのだ。
その3
『支えてくれる人の大切さ』
少年院生活では、常に1人でいる訳ではない。カリキュラムが過ぎれば単独寮から、一般寮に移り他の院生達との生活も始まる。
少年院では『不成口談』というものがあり、先生を介さずに他の院生との勝手な会話は禁止されている。
だが時にお互いを励ましたりする為に、集会も頻繁に行われるし、先生達との一対一の面談も多くある。
また、遠くから家族が会いに来てくれたらするので1年間ずっと1人で独房にいる訳ではないのだ。
それは多分人間には孤独でいられる限界が決まっているからであろう。
僕達はなにをどう強がっても結局、1人で生きてはいけない弱い存在なのだ。
そんな中、やっぱり先生退院後の生活を心配してくれる先生達との面談は生涯忘れられない深いものだった。
これだけ自分が素直に人の話しを聞けるものだと、初めて知ったし、自分を見ていてくれる人が1人でもいるだけで人生は大きく変わるのだ。
だから僕達は支えてくれる人のありがたみに気がつけたし、変わる事が出来たのだと思う。
まとめ
いかがでしょうか?少年院という場所に対しての固定概念は少し変わったと思います。
僕も実際に収容されるまでは、本当にロクでもない奴の集まりで、入ったが最後だと思っていた節があるのだが、実際には入ってみないと分からないしそれよりも固定概念で溢れていた自分の方がロクでも無い事に気付かされた。
規則正しい生活の中で自分を見つめ直し、素晴らしい教養の詰まった学習本や、講演家さん達との出会いは何事にも変え難い体験でした。
また少年院時代の話しは記事にしようと思っているので、リクエストがあったら教えてください(^^)
朝活男子
世の中の気づきや、学び、生き方のシェア。
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